投稿狂
SNSの世界には見る専のほかに「投稿狂」と呼ばれる、投稿を頻繁にするひとがいます。それに対して「自分がフォローした人がそうだったらすぐフォロー外す」とのたまうひとを昨日SNSで見つけ、軽いカルチャーショックを受けました。
ぼくはどちらかと言えば投稿狂に分類されるのかなと自負していますが、そんな自分からすると、むしろ見る専の方が不思議な存在だなと思います。SNS、特にツイッターのような短文投稿サービスでは、個々のアカウントをフォローするかどうかの基準に「そのひとがどういう投稿をしているか」を挙げることができると思います。自分と似たような感性を持っているか、とかリツイートの傾向から趣味が同じなのかな?とか思ったり。相手が有名人とかでなければ、基本的には投稿を事前に見てフォローするか、あるいはフォローされた場合も同じように、このひとどういう人なんだろうというのを投稿を見て判断するかなと思います。そういう前提に立てば、見る専のアカウントをフォローしたりするのはほぼ無いですし、そういうアカウントからフォローされると、下手すると気味悪いとすら思うでしょう。
投稿狂になったきっかけ
もともと、頻繁に投稿する人だったかと言われたら違ったような記憶があります。それが、いろんなアカウントを眺めてるうちに、ものすごい頻度で投稿してるアカウントがあることを知り、それを見て「自分もたくさん投稿してもいいんだ」となんだか赦された気になって、そこから投稿数が増えていきました。
SNSでフォローされたからと言って態度を変える必要はない
フォローされると、時々、振る舞いを正そうと思うことがあります。なんだか礼儀正しそうな雰囲気を感じるアカウントからフォローされると特にそうなります。そういうとき、ついついこれまでの自分の投稿傾向とは異なる投稿をしがちで、それに伴い、投稿頻度も落ちてしまいます。
しかし、SNSを長くやってて考えが段々変わってきました。誰からフォローされたからと言って態度を変える必要はない、と。そもそも、フォローされる時点での自分の投稿を見てフォローされたのです。であれば、自分を変える必要なんてないでしょう?と思うに至りました。
結局、匿名SNSは本名がわからないだけで匿名性はそんなにない
長いことSNSをやってると、フォローしてフォローされてを繰り返す中で段々と自分の中で「このひとはよく見かける」「このひとはよく反応をくれる」と、ある程度固まったメンバーを意識した投稿をしがちになっていることに気づきました。Aさんは●●の話題は苦手って言ってたな…という意識が頭にある中で、それを揶揄する投稿はハッキリ言ってできないですし、逆に、▲▲が大好きと公言するひとがいれば、その話題をするときはちょっと自分も物知り顔で文章を書きがちです。
それぞれのアカウントの裏側にいる人間の本名は当然わからないわけですが、アカウント名をまるで本名のように認識して、彼らに対して、自分の旧知の仲であるかのように気を使ったりしているわけです。これはSNSを始めたばかりの頃とはずいぶん違った景色ですね。まだフォロワー数も少なければフォローしてるアカウントも公式アカウントだらけみたいな状況のときは、尖りに尖った投稿をしても「これに傷つくやつは俺をブロックすればいいだけだ」と意にも介さなかったはずです(ぼくはそうでした)。そう考えると、ある程度関係性を築いたあとのSNSは、もう匿名性のメリット(?)を享受できないような環境なのかもしれないなと思いました。
正直、それに息苦しさを感じることは割とよくあります。思い切り他人を傷つける物言いをしたい衝動に駆られることもありますし、フォローしてるアカウントの発言に対して思いっきりなじりたいこともあります。でも面白いことに、じゃあ公開範囲を自分のみにしてストレス発散投稿をしたいかと言われたらそんなことも無いという。全くないわけではないですが、書いてるうちにネガティブな感情がしぼんできて、結局投稿まで至らなかったことは本当に何度もあります。
他人をネガティブな気持ちにさせたい感情が起きても、それを実際に文字にすると「こんなの投稿することに何の意味があるんだ」とか「なんか文字にするとスッキリした」って気持ちになる。これが機能(?)してる内は大きな過ちは犯さないで済むのかなあと楽観視しています。
「投稿狂」は他者から見た自分への評価というより、自分が他人にどう見られたいかを意識した末の言葉なような気がしてきた
「俺は投稿頻度高いから気を付けな」と、まるで自分のことを他人にそう見てほしい、そういう意識が前面に出た言葉なのかなあと思いました。「投稿狂」って言葉は。